化学親交会「愛化会」

愛化誌より

怒れる学生よどこへ行った

2003年2月1日から、岡崎国立共同研究機構 分子科学研究所に移った。これまで教育主体の生活を送ってきたが、2月からは研究主体に変わることになる。

大学の「教官」と言っても教育者として教育されたことは全くなく、若い頃は研究者のつもりでいた。しかし、この間本当に研究していたかと問われると疑わしい。「研究もどき」のことをしていたにすぎない気がする。研究と大きな顔をして言うには、テーマの新規性、重要性が足りなかったと反省している。

では、教育はどうだったのだろう。時々授業がおもしろいと言ってくれる学生がいた。ありがたいことだ。しかし、試験をしては毎回落ち込む日々だった。一生懸命説明したつもりだったが、全然分かってない学生が多い。たぶん、もつと良い教育法があったはずだ。新しい教育法を研究していたかと問われると、これも疑わしい。その場その場の思いつきを試していたにすぎない。振り返ってみると反省するしかない落第教官だったようだ。しかし、停年まではまだ20年近く有るから、もう少し努力しよう。

それにしても、最近の学生さんは皆心優しい。アンケートを採っても、直接話していても、教官への心遣いを感じる。かなりひどい授業だったはずなのに、良いところを探してほめてくれる。皆、大学とはこんなもんだと諦めているのだろうか。しかし、まだ大学を見捨てないでほしい。現状は、理想とはほど遠いはずだ。私自身が学生だった頃は、怒れる学生だった。私よりも年上の先生方は、もっと過激な怒れる学生だったはずだ。それは、大学や社会に理想を求めていたからだった。理想と現実のギャップのあまりの大きさに怒るしかなかった。怒りが社会を改善する力になると思っていた。それは、今でも真実だと思う。怒りを推進力にして理性で方向付けをして、より良い物を求める姿勢は普遍的なものである。対象を愛するからこそ怒れるのである。大学を、日本を見捨てないで欲しい。

私自身は、しばらく研究に専念してまた教育者に戻りたいと思っている。教育は、日本を救う鍵である。怒れる学生を求む。

2003年2月5日 小川琢治

愛化会役員より

愛化会副会長【枝廣愛子】:「この一年間、みなさんお疲れ様でした。いろんな意味で楽しかったです。では、また会う日まで(^3^)/」というかんじで。だっ、だめかしら。

変化会会長【岡本淳】 :「ん?ダメ。いや、別にええねんけどな‥・お前はもういなくなるのか?

来年は俺らに会わへんつもりか?喧嘩売ってんのか?ん?」

変化会副会長【埜下歩】:「つていうか、愛化の5人中4人同じ携帯(色違い)よね−。誰か一人(E廣A子)だけ違うよね−。」

愛化会編集【川上沙繊】:「愛化の仕事をあんまりしてない気がするけど、皆様(岡本様)おつかれさん(^O^)」

変化会会計【末光藍】 :「とっもだっちひやつくにんでっきるっかなあ〜♪」

岡本様、埜下、川上  :「・・・・・・・・・・。」

枝廣:「最後まで訳わからんかったね・‥なんでやろうね???」

こんな調子で1年間の愛化会の仕事を振り返ってみると、とても大変だった半面、とても充実した1年間でした。

先生方はじめ先輩の皆様、事務の方々、2,3回生の皆さんにおかれましては、暖かい目で見守っていただき感謝いたしております。